2023年12月11日 (月)

中米の旅

中米の国、パナマ運河。

2023年1月 8日 (日)

2023年もよろしくお願いします。

1月2日に鎌倉七福神巡りをして来ました。Image2 Image0 Image1

2022年7月 4日 (月)

久々の東海道歩き

散歩かふぇちゃらぽこの散歩会で東海道歩きをしてきた。

今回のコースは藤沢駅~遊行寺前から茅ヶ崎駅前まで。

直接的には約10㎞のコースだったが、途中神社仏閣何カ所かに立ち寄ったので午前10時出発で茅ヶ崎駅に着いたのは午後5時頃だった。

普通に東海道を歩いたのでは立ち寄らないところを見学出来てなかなか中身の濃い散歩会だった。

2021年8月 1日 (日)

隠岐の島の旅

6月末に隠岐の島に行って来た。Img_9223 Img_9189 Img_9139 Img_9223 Img_9223 Img_9189 Img_9189 Img_9139 Img_9139

2020年8月27日 (木)

テスト

テスト

2016年8月 8日 (月)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く⑦(三日目) 外ヶ浜町山崎辺りから三厩まで

午前11時35分の頃、外ヶ浜の山崎地区に入った先で、旧道は二股の道を右手に進んだ。
 
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右手の道はこれまでと同じく国道280号線で左手に分かれた道は国道280号線のバイパスのようだった。
 
その先坂を下って行くと前方に町が見えていた。
 
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恐らくそこは今別の町なんだろう、、、とすると、三厩はもうその先と言うことだ。
 
坂を下った先では海岸線に沿って暫く進んだ。
 
Img_3575
 
道路脇には「今別海岸」と書かれた標柱が立っていた。
 
その先の今別川河口付近で、旧道は少し内陸側に迂回するようなルートを辿っていたようなのでその道に入って行くと、今別川を渡る「あすなろ橋」が工事中で渡れなくなっていた。
 
Img_3584
 
何ともタイミングが悪いと言うか、残念で仕方がなかった。
 
それで止む無く迂回した道を元に戻って歩くことにした。
 
Img_3585
 
そして、今別川を渡る現代の橋、今別橋を渡っている時、左手には、本来の旧道のルートとなっている辺りに架かっていたあすなろ橋がむなしく見えていた。
 
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今別川を渡ると、その先は今別宿の中心部に入ったようだった。
 
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それにしても、町の中心部だろう辺りなのにほとんど人の姿を見かけなかった。
 
更に今別の町中を進む。
 
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その先で左手にJR津軽線の小さな鉄橋が見えた。
 
Img_3601
 
前日蟹田宿で旧道と分かれたJR津軽線が今別で再び旧道と近づいたと言うことだ。
 
その先で前方を見ると、正面の山の中腹に大きな屋根のようなものが微かに見えた。
 
Img_3603
 
位置的にそれは三厩の義経寺ではないかと思えた。
 
となると、、、。
 
あの辺りが三厩のゴール地点と言うことになる。
 
目標が目に見えたと言うことで、少し体力が蘇ったような気持ちになった。^_^;
 
時刻は午後0時50分の頃だった。
 
その先、JR津軽線が左手に走っている道を進んで、午後1時の頃、旧道(=国道280号線)は再び今別バイパスと合流した。
 
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そこにあった表示には「三厩駅」も書かれていたので、ゴールが間近であることがわかった。^_^;
 
その先ですぐに今別バイパスとは左手に分かれて、旧道は今別バイパスを右手に見るようにして進んだ。
 
そして、その先には左手三厩小学校があるところを通過した。
 
Img_3622
 
「三厩」の文字を見ると、もうすぐだ、と言う感じだった。
 
そしてまた、ここの道はその広さからして、バイパスが出来るまではこの辺りの主要道路だったんだろうが、この時はほとんど車両の通行もなく、人の歩く姿も見なかった。
 
その先で「三厩川」を渡って進むと・・・。
 
前方に「厩石公園」が現れた。
 
Img_3630
 
そこが松前街道のゴールだった。
 
そのすぐ左手には山頂に建つ義経寺に向かう階段が見えていた。
 
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と言うことで、午後1時30分。
 
何とか、奥州道中(陸羽街道+松前街道)のゴールに到着した。ヽ(^o^)丿
 
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最後は何だか時間との勝負みたいになってしまったが、2009年8月20日に福島県白河の女石交差点手前からスタートした奥州道中(陸羽街道+松前街道)を、約7年掛かって踏破した。
 
いやぁ~~、歩いた期間も長かったが距離も長かった。
 
その分、いろいろな思い出もあったなぁ~~。
 
いやぁ~~、
 
楽しかったなぁ~~。ヽ(^o^)丿
 
・・・
 
さて、厩石公園で一休みしつつ、、、
 
そこに着く少し前の三厩に入ったところで旧道と並行して走っていた今別バイパスにコンビニ(ファミマ)を見つけた。
 
コンビニを見たのは、前日に通った蟹田宿にあったデイリーヤマザキ以来のことで、ここをスルーしたら恐らくこの先コンビニには出会えないだろうと思って、少しゴールまでには時間があったが、ゴールした時のビールをそこで買った。
 
厩石公園に着いた後、そのビールで一人乾杯をして、さて、この後どうしようかと考えた。
 
三厩駅を出るJR津軽線は、この後午後2時53分発のがあったが、その次は午後5時46分となっていた。
 
それで午後2時53分発に乗ることにして、それまでの時間を使って「義経寺」に立ち寄ることにした。
 
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義経寺はその名前が示す通り、源義経に関係ある寺だ。
 
そして、義経寺からは眼下に三厩港が見えた。
 
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この先はここから松前か?
 
いやいや、、、^_^;

2016年8月 7日 (日)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く⑥(三日目) 外ヶ浜町砥石辺りから山崎辺りまで

午前9時35分を過ぎた頃、外ヶ浜町の奥平部と言う地区に入ったところで、国道280号線から左に分かれるところに着いた。
 
朝宿を出てから、ほとんど国道280号線を歩いて来たが、久しぶりに国道ではない江戸時代の松前街道だった道がその先左手に続いていた。
 
Image1
*赤いルートが旧道のようだ。
 
その左手の道に入ると、すぐに急な登り坂になっていた。
 
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恐らく、、、。
 
今回浅虫温泉をスタートしてからの三日間の街道歩きの旅の中で、一番急な坂道だった。
それくらい、これまでのルートでは平坦な部分が多かった。
 
浅虫温泉からの道中では途中何か所か緩やかなアップダウンはあったが、この先の道はかなり厳しかった。
 
その道は車も走っていないような感じの道で、道の両側は野草がぼうぼうに生えていて、もちろん民家のような建物など一軒も見ることはなかったが、その登りの道を進んで行くと、漸く平坦なところに出た辺りで、左手に突然、廃屋のような建物が現れた。
 
Img_3497
 
その建物への入口部分には門のようなものがあったのでよく見ると、そこには「今別町立開智小学校校舎跡地」と刻まれた石碑が建っていた。
 
それを見て、ちょっと驚きだった。
 
それは、こんな坂道の上に小学校の校舎が建っていたと言うことがひとつだった。
 
地震が発生した際にはこのような高台に校舎があると言うことは安全面から考えればそれはそれでいいんだろうが、日常的に小学生が毎日通学するのに適していたんだろうか?と思った。
(しかし、今にして思うと私が通った中学や高校はちょっとした丘の上に建っていて、そこへの登りが結構きつかったし、近所には丘の上に建つ小学校もあるので、こうしたところに建てることはよくあったのかもしれない。)
 
それにしても、夏場はいいかもしれないが、冬、雪が積もった時にはどうやって通学していたんだろう?
 
そして、そんな小学校も今は廃校になってしまっていると言うことが二つ目の驚きだった。
 
調べてみたら、2000年に今別地区にあるこの開智小学校を含む3校を統合し今別小学校として、その際ここは廃校になったようだった。
 
その後更に2003年、2004年に近隣の小学校を統合して現在の今別小学校となったようだが、旧開智学校から今の今別小学校までは約10キロメートルもある。
 
この距離を小学生が毎日通学するのはさぞや大変だろう。
 
しかしこれが現実なのかもしれない。
 
今まで奥州道を歩いて来た際に、朝や午後になってからでも、通学途中の小学生の姿は何度も目にしたし、時々は「こんにちは」とか「おはようございます」とか声を掛けてくれたりもした。
 
が、今回浅虫温泉を出発してからは、通学中の小学生の姿を一度も目にしていなかった。
 
いやはや、それを思うと何とも寂しい話だ。
 
そして開智小学校跡地の前を通り過ぎてからはその先は坂道を下って行って、再び国道280線に合流した。
 
その合流地点には、赤い大きな岩があって、その近くには「赤根沢の赤岩」と書かれた標柱が立っていた。
 
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調べたところ、その近くにある赤根沢地区では朱色の岩塊が露出していて、一帯30アールが県の天然記念物に指定され、旧跡となっていると言う。
 
江戸時代にはこの岩から赤い顔料が作られ、日光東照宮や岩木山神社の大堂、山門等の修復にも用いられたと言う。
 
なるほど、、、。
 
確かに見事なほどに赤い岩だ。
 
ところで、江戸時代の道がこのように山の手を通っていたと言うことは、この辺りの海岸近くはかなり厳しい状況だったと言うことなんだろう。
 
そして、ひと汗、ふた汗、大汗を搔いて再び国道280号線に戻って進むと、左手に稲荷神社の鳥居が何基も建っているのが見えた。
 
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ここまで来る間にも山の手に鳥居が連なっているのを何度か目にして来たが、海岸線をずっと歩いて来て高台に建っている神社が多いように思えた。
 
それはもしかすると、津波対策なんだろうか?とも思ったが、本当のところはどうなんだろう?
 
その先砂ヶ森地区を通り過ぎると、道は緩やかに登りになって行って、午前10時の頃、高野崎と書かれた場所に着くと、右手は広場のようになっていてその奥には建物が見えた。
 
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そこはちょっとした観光スポットになっているようで、飲食店のような建物が2~3軒あって、トイレも備わっていた。
 
時間的に開店間際のようで、開店準備をしているような人の姿もあった。
 
そしてその建物の一角に無料休憩所があったので中に入ってみると、冷水が入ったポットとコップが容易されていて「ご自由にどうぞ」と書かれていたので、これは天の助け!と思って、喉を潤そうと思ってポットを手に取ってコップに冷水を注ごうと思ったら、、、。
 
中に入っていたのはまだ氷の塊で、ほとんど冷水は流れ出て来なかった。
 
来るのが少し早かったようだった。
 
それで止む無く、そこではトイレを借りるだけにして再び出発することにした。
 
その先は特に何もない山間の道を進んで、今度は下りになって行った。
 
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坂を下って行って平坦な道に出ると、その辺りは「袰月」と言う地区のようだった。
 
その先左手に赤い鳥居が建っていたが、その手前のところに「史跡 伊能忠敬止宿」と書かれた標柱が立っていた。
 
Img_3521
 
何と、あの伊能忠敬大先生がこの地に宿泊していたとは!?
 
まぁ、考えてみれば毎日どこかには泊まっていた訳だから、こうした場所があっても不思議ではないだろうが、その場所がこうして残されていると言うことが驚きだ。
 
いや、それにしても伊能大先生の足跡に触れることが出来たようで、何だか嬉しかった。^_^;
 
その先で「外ヶ浜(三厩)14km」と書かれた標識があった。
 
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朝宿を出発してから11キロメール歩いて来たことになる。
 
その頃時刻は午前10時半頃だった。
 
3時間で11キロメートルか、、、ちょっとペースは落ちて来ているのがわかった。
 
そのすぐ左手には、今度は大きめの祠があって、それはガラスの引き戸がある変わった祠だった。
 
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しかしこれならお参りしやすいだろう。
 
外には花も生けてあって、日常的にお参りが行われている様子が伺えた。
 
その先は海岸から少し離れ、徐々に登り坂になっていった。
 
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その先右手には「袰月海岸」と書かれている場所があった。
 
Img_3535
 
そこは真下に切り立っていて風光明美なところのようだった。
 
その先大泊地区に入ったところで、旧道は国道280号線から右手に分かれた。
 
Img_3542
 
そこからは下り道になっていて、下った先に集落があった。
 
すぐにその集落を過ぎると、、、。
 
下った後は登り道で、登った先で再び国道280号線と合流した。
 
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すると、その先右手の草木が多い茂る中に「旧松前街道~」と書かれた標柱が立っているのを見つけた。
 
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どこのどなたが書いたものか知らないが、何とも嬉しい気持ちがした。^_^;
 
そしてその先は暫くまた海岸線の道を進んだ。
 
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時刻は午前11時20分を過ぎた頃だった。
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年8月 5日 (金)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く⑤(三日目) 平舘宿から外ヶ浜町砥石辺りまで

長かった奥州道中(陸羽街道~松前街道)歩きのいよいよ最終日、予定通り歩ければ午後にはゴールの三厩に到着するのだ。
 
この日は街道歩きのための鉄道やバスでの移動はなく、宿泊したペンションだいばの真ん前の道が奥州道中(松前街道)となっているために、宿で朝食を摂ると、その後サクサクと街道歩きをすることが出来た。
 
と言うことで、時刻は午前7時30分。
 
三厩に向けて、レッツ、スタートだ!ヽ(^o^)丿
 
・・・
 
宿を出ると、目の前には昨日の延長のように、松の木が並んでいた。
 
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朝から気持ちがいい。
 
そのすぐ先に、「外ヶ浜(三厩)25km」と書かれた標識があった。
 
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25キロメートルとなると、平均時速4キロメートルで歩けば6時間ちょっとのところだが、写真を撮ったり休憩したりすることを考えれば歩く速度はもっと遅くなる。
 
実は、この日は朝から頭の中では、三厩に何時頃着けそうなのか?、、、と言うことを考えていた。
 
と言うのは、三厩駅から出るJR津軽線は午後だと1時間から2時間に一本しかないので、何時に三厩に到着するかが大きな問題だったのだ。
 
さて、その近くの海岸沿いの壁には、そこが国道280号線であることを示す表示があった。
 
Img_3426
 
そこには「松前街道」と言う文字も書かれていて、なかなか洒落ているんじゃないかと思った。^_^;
 
また、その数分歩いた先には「石崎沢(1)遺跡(縄文時代)」と書かれた案内板が立っていた。
 
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道の端にぽつんと、それとなく立っていたが、これってなかなかすごいことなのではないだろうか?
 
縄文時代からこの辺りには人が住んでいたってことでしょ?
 
いやはや、、、恐れ入りました。
 
ちなみに、ここでは(1)と書かれていたが、その先には(2)と書かれた案内板があった。
 
そして、宿を出発して30分ほど進むと、前方に巨大な構築物が見えて来た。
 
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これは一体何なんだろう?
 
それに近づくに連れ、その巨大さが増して来たように感じたが、形と言い大きさと言い、今までに見たこともないようなもので、それが何なのかわからなかった。
 
そして、この日も道路沿いにはあの祠と百万遍の碑があったが、これはガラス戸で中が見えるタイプだった。^_^;
 
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中のお地蔵さんはやはり着物を着ていた。
 
更に旧道を進む。
 
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あそこを海岸線に沿って歩いて行くと思うと、何だか大変だな~とつい気持ちが弱くなってしまう。
 
その先歩道を歩いていると、歩道に何と、洗濯物が干してあるではないか!?。
 
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まぁ、それくらい、ここは人通りがないと言うことなんだろう。^_^;
 
宿を出てから約35分、「外ヶ浜(三厩)21km」の表示があった。
 
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と言うことは、時速4キロメートルくらいのペースで来ていると言うことだ。
 
今のところ順調だ。^_^;
 
そして、午前8時40分過ぎ、平舘村を出て今別町に入った。
 
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その後10数分進んだところ右手に「岩屋観音」があった。
 
宿で、この先に岩屋観音があると聞いていたのでそんなに遠くないと思っていたが、かなり先だった。
 
その右手にあった階段を下りて行くとその先に祠があった。
 
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また、その祠の近くの岩壁に花が咲いていた。
 
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これは、なでしこだろうか?
 
そして、その先には「鬼泊トンネル」と書かれたトンネルがあった。
 
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鬼泊と言う名前からして、江戸時代は難所だったことが伺える。
 
そして、トンネルが開通する前は海側を越えたのか山側を越えたのか、と思いながらトンネルを出て振り返ると、、、。
 
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トンネルの海側が何となく歩けそうな雰囲気だった。
 
恐らく、海の状況を、満ちてるとかひいてるとか、波が荒いとか静かだとか、それを見ながら通っていたのかもしれない。
 
そして、トンネルを出た先左手には「だるま滝」があった。
 
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大きな岩の肌を撫でるように幾筋もの小さな水の流れがあって、その岩の形からその名前が付いてるかもしれないと思った。
 
そこから10数分進むと、今度は扉がない形の祠があった。
 
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今までの祠はほとんどが扉があってそれが閉まっていたので中のお地蔵さんの姿がよく見えなかったが、これならよく見えた。
 
この頃時刻は午前9時20分の頃だった。
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年8月 4日 (木)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く④(二日目) 蟹田宿から平舘宿まで

午前11時30分、蟹田宿を通過して行くとその先で国道280号線から旧道は左手に分かれた。
 
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そこから20分ほど歩いたところには、国道沿いを歩く時とは違った雰囲気の町並みが続いていた。
 
Img_3324
 
それにしても人はいないし車も滅多に走っていない。
 
そして旧道に入ってから30分ほど進むと、少しずつ高台に入っていた。
 
右手下には国道280号線と、その先にある漁港が見えていた。
 
Img_3327
 
その辺りで朝から15キロメートルほど歩いて来ていたので公園等があったら一休みしたいと思った。
 
しかし、そのような施設等全くなくどうしようかと思ったが、前からも後ろからも歩いて来る人はいないし、また車も全く走ってなかったので、道端で適当なところを探して休むことにした。
 
Img_3330
 
その辺りは左手の崖が切り取られてコンクリートで固められていたので、江戸時代の頃の道は今よりももっと狭かったに違いない。
 
また、今まで歩いて来た海沿いの道ではなく山側を歩くことになっていたのは、海沿いは海が迫っていて道が確保出来ない状態だったんだろう。
 
さて、休憩を終えて歩き始めると、旧道は徐々に下り始めて10分ほどで再び国道280号線に合流した。
 
そして、その先で次の宿場平舘村に入った。
 
Img_3335
 
そこから数分ほど進むと、旧道は今度は国道280号線から右に分かれて入って行った。
 
Img_3336
 
そこから暫くは海沿いの道を進んだ。
 
この辺りは平舘磯山地区だったろうか、、、旧道の脇に並ぶ家屋。
 
Img_3338
 
そして右手には、恐らくホタテの貝殻だろう、、、それらが山になっているのが見えた。
 
Img_3342
 
さすがはホタテの町だ。
 
そう言えば、ここまで来る間にも、ホタテの加工工場のような施設がいくつもあった。
 
青森市内を過ぎてからは右手に漁港をたくさん見て来たが、この辺りではホタテ漁が多く行われているようだ。
 
そして、再び国道280号線に合流すると、そこからはまた暫くの間国道となっている道を歩き、午後0時50分の頃、平舘舟岡地区に入った。
 
Img_3344
 
その先今度は国道280号線から左手に分かれて旧道は進んだ。
 
Img_3349
 
その先で国道280号線に合流すると、右手には「青森ほたて」の看板が立っていた。
 
Img_3361
 
そして午後1時50分の頃、右手に「吉田松陰 乗船の場」と書かれた案内板が現れた。
 
Img_3368
 
何と、吉田松陰は東北にやって来ていたとは!?
 
それで調べたところ、吉田松陰22歳の時、当時津軽海峡を外国船が堂々と往来していることを知って、脱藩覚悟で東北地方にやって来たと言うのだ。
 
そして苦労の末三厩に到達し、その帰り道、平舘のここから舟に乗って青森に向かったらしい。
 
いやぁ~~、街道歩きをしていると、いろいろと勉強になるものだ。^_^;
 
その先10分ほど進むと、民家の脇に青いそれほど大きくない網が小さくまとめられていた。
 
Img_3371
 
それはホタテを採る網だと、後でペンションで聞いた。
 
その先旧道の脇に並んでいる建物。
 
Img_3378
 
今まであちこちの旧街道を歩いて来て、このような景色を見たことはなかったので何と言っていいかわからないが、壊れかけた建物や人が住んでいないような家もあったようで、何とも静かな旧街道、と言う感じだった。
 
その辺りになると、下北半島が更に近くに見えた。
 
Img_3381
 
そして、時々津軽半島との間をフェリーやタンカーが走っているのが見えた。
 
後でペンションで聞いたところによると、平舘と下北半島の間は一番短いところで12キロメートルしかないと言うことだった。
 
またこの辺りは漁業をしている家が多いようで、何と呼ぶのか、浮き球のようなものがたくさん並んでいた。
 
Img_3382
 
そして、これは平舘のマンホールの蓋。
 
Img_3385
 
灯台がモチーフになっているが、確かに灯台があった、、、と言うかこの日泊まるペンションのすぐ裏が灯台だった。^_^;
 
その先左手には、閉鎖したガソリンスタンドがあった。
 
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これまでも何カ所かでこのような閉鎖したガソリンスタンドがあったが、これからどうなってしまうんだろうと心配になった。
 
その先平舘村の中心部辺りに入ったところで、左手に「不老不死温泉」の案内板が出ていた。
 
Img_3388
 
実は今回の歩き旅を計画した際に、平舘で泊まろうと考えてまずこの温泉を候補にしたが、翌日の行程を考えて出来るだけ三厩に近いところで泊まれるところがいいと考えなおして、ここはパスした。
 
その頃時刻は午後2時半近くだったので、ここに泊まることにしていたら、随分と早いチェックインになっていたところだ。^_^;
 
その先20分ほど進むと、左手には平舘神社が建っていた。
 
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村の名前が付いている神社だ。
 
そして更に10分ほど進むと、目の前には旧道の左右に立派な松並木が現れた。
 
Img_3397
 
そこには「津軽国定公園入口」と書かれた看板が立っていたが、そこから暫く先までは国定公園内のようだった。
 
そしてその先進むと、目の前に「史跡 平舘台場跡」と書かれた案内板が立っていた。
 
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ここは江戸時代、嘉永二年(1849)に外国船に対する守りと言うことで弘前藩が構築した砲台跡で、その2年前に異国船が現れて乗組員が上陸したので急ぎ構築したのだと言う。
 
その奥には土塁の跡がしっかりと残っていて、当時の緊張感が伝わって来るようだった。
 
Img_3408
 
そしてその一角には、久々にそこが松前街道であることを示す石柱が建っていて、それが何だか嬉しかった。^_^;
 
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その先にこの日泊まるペンションがあったが、まだ時間が少し早かったので、近くにあった「おだいばオートビレッジ」と言う施設に立ち寄って、そこで一休みしつつ缶ビールを買って一息ついた。^_^;
 
ちなみに、その向かいには「道の駅 たいらだて」があったが、土日しか営業していないとのこと。
 
よほど平日は人がいないんだろうなぁ~~、と何とも寂しい気持ちになった。
 
・・・
 
と言うことで、少々早いが午後4時15分の頃、松前街道沿いに建つ「ペンションだいば」に到着した。
 
Img_3410
 
そう言えば、、、。
 
「ペンション」と名の付く宿泊施設に泊まるのは20数年ぶりだろうか。
 
と思うと、何だか少し嬉しい気分だった。^_^;
 
・・・
 
部屋の窓を開けると、海の向こうには下北半島、そして窓の外には灯台が見えていた。
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年8月 3日 (水)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く③(二日目) 後潟駅から蟹田宿まで

青森駅から出ているJR津軽線は、朝の時間帯でも概ね2時間に一本しか運行していない。
 
なので、一本逃すととんでもないことになる。
 
と言うことで、朝8時05分青森駅発に乗り遅れないよう余裕を持って宿を出たが、途中でコンビニに寄って日焼け止めクリームを買ったりしたので、結局数分の待ち時間でJR津軽線の蟹田駅行きに乗った。
 
実は、前日の街道歩きの結果、気温はそれほど上がっていなかったが、顔から腕からかなり日焼けをしてしまって、ホテルで風呂に入った時には肌がかなりひりひりした。
 
それで日焼け対策として日焼け止めクリームを買うことにしたのだ。^_^;
 
そして、定刻通りJR津軽線の蟹田駅行きが出発すると、昨日の最終地点である後潟駅に向かった。
 
青森駅ではそこそこの乗客がいたが、最初の油川駅で乗っていた高校生達がほとんど降りると、車内はほとんどガラガラになった。
 
そして、後潟駅に定刻通り8時26分に着くと、私の他に数人の女性客が降りたが、その人達は皆、駅を出てすぐ右手にあった建物の中に入って行った。
 
これがJR津軽線の実情なんだろう。
 
この様子だと、いつまで運行してもらえるんだろうか?と、心配になった。
 
・・・
 
さて、そんなことで8時29分、昨日の最終地点の地、国道280号線に戻って街道歩きの続きをスタートした。
 
Img_3198
 
・・・
 
スタートして20分ほど進むと、左手にスーパーがあった。
 
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昨日、あれほどあって欲しいと思ったのになかったスーパーが、こんなところに出現するとは!?、、、と言う気持ちだった。
 
が、出発早々のこんな時間に出くわしても特に買う物もなく、何とも間が悪いと言うか、残念な気持ちだった。
 
それくらい、青森市内から先はほとんどこの手の店はなかったのだ。
 
その先左手を走るJRの線路を感じつつ、中沢駅を通り過ぎて進むと、旧道は蓬田町に入った。
 
そして蓬田駅、郷沢駅を過ぎてその先右手には、「よもぎた物産館:マルシェよもぎた」と言う施設が現れた。
 
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時刻は午前10時、恐らくこの先トイレ等の施設はほとんどなさそうなので、ここでトイレを借りて一休みした。^_^;
 
その先を進むと、瀬辺地に入った。
 
Img_3267
 
そこに立っていた標識の中の黄色いプレートに書かれていた「22.0km」はキロポストの一種で、恐らく例の、青森市内の善知鳥神社の辺り、松前街道の起点となっていた辺りからの距離なのかもしれない。
 
その先には、松前街道を歩いていて何度も見かけたお地蔵さんが入っている祠と、百万遍と刻まれた石碑が建っていた。
 
Img_3276
 
この百万遍の石碑もこの他に何度も目にした。
 
祠の中を見ると、お地蔵さんが皆同じように着物を着ていたので、こうした同じスタイルの祠があると言うことは、同じ人達が造ったものなのか?とも思った。
 
お地蔵さんを見てもそれを守る祠を見ても、そう古いものではなさそうに思えた。
 
瀬辺地を過ぎて暫く進むと、それまで数十メートル左手を並走していたJR津軽線の線路がすぐ左手に近づいて来た。
 
それに合わせるように、右手に続いていた民家の建物もなくなり、すぐ海が見えるようになった。
 
急に視界が開けた感じだった。
 
え~~、ちなみに、歩道はありません。
 
Img_3289
 
すると、右手の海の向こうに島影が見えるではないか?
 
位置的に見て、あれは津軽半島の対岸にある下北半島ではないかと思った。
 
30代の頃下北半島はバイクで一周周り、その後陸走して津軽半島も周ったが、結構な距離を走った記憶がある。
 
その下北半島が目と鼻の先のような距離に見えるのか?
 
そんなことを思いながら道を進むと、その先で蟹田の集落に入った。
 
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蟹田は江戸時代には蟹田宿があったところで、現在では青森駅を出てこの辺りまでずっと平行して走って来たJR津軽線と松前街道がいよいよ分かれるところになっていた。
 
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松前街道はこの先海岸線に沿って北上するが、JR津軽線はそこから左手に分かれて松前街道をショートカットする形で北西に進み、その先今別辺りで再び松前街道と合流することになる。
 
と言うことで、蟹田を出ると今別に着くまで鉄道路線はないため、途中で鉄道に乗って手前に戻るとか先に進んで宿を取ると言うことが出来なくなる。
 
即ち、蟹田を出ると、途中で宿泊をするにしてもしないにしても、次の今別に辿り着かなくてはならないことになるのだ。
 
と言うことで蟹田の町中に入ると、「青函トンネル記念館」とか「むつ湾フェリー」とか書かれた標識があった。
 
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それを見ると、「結構北に来てるな~~」と言う思いがした。^_^;
 
その頃時刻は午前11時20分の頃だった。
 
その先左手に珍しくコンビニのデイリーヤマザキの店舗があった。
 
いやぁ~~、久々のコンビニ! 珍しいなぁ~~、と思った。
 
昼食の時間にはまだ早かったのでどうしようか考えたが、その辺りにそれらしい飲食店は見当たらなかったので、コンビニに寄って、いざと言う時のためにおにぎりでも買っておいた方がいいかなと思ったが、まだ町中に入ったばかりだったので、いくらなんでも飲食店の一軒や二軒はあるだろう~~、JR津軽線の駅がある町だし、、、。
 
と思って先に進んだのが運の尽きだった。(*_*)
 
結局、その先でそれなりの飲食店を見つけることが出来なかった。
 
もしかしたら地元の人が利用する店があったのかもしれなかったが、その時の私には見つけることが出来なかった。
 
と言うことで先に進んだ。
 
その先には観瀾山公園があって、左手の小高い山がその観瀾山らしく登れるような道が見えた。
 
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資料によるとその山の上からの眺めは素晴らしいとあったが、まだ先の行程があったし体力を温存したかったのでスルーして先に進むことにした。^_^;
 
更に進むと、歩道の目の前に「いかハンバーグ ペンションだいば」と書かれた看板が立っていた。
 
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「いかハンバーグって、何だ?」と言う疑問と興味が湧いたが、それとは別に、実はこの日の宿は、そのペンションだいばを予約していた。
 
そしてその看板をよく見ると、上に赤く小さな文字で「あと13km」と書かれているではないか!?
 
「あと、13キロメートルか、、、この道なら車で10数分ってところだろうけど、歩くとなると、3~4時間は掛かるんだよね・・・」
 
とは思いながらも、その日のゴールが見えて来たことで、ほっとした。^_^;
 
・・・
 
以下、続く・・・。

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