2016年8月 8日 (月)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く⑦(三日目) 外ヶ浜町山崎辺りから三厩まで

午前11時35分の頃、外ヶ浜の山崎地区に入った先で、旧道は二股の道を右手に進んだ。
 
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右手の道はこれまでと同じく国道280号線で左手に分かれた道は国道280号線のバイパスのようだった。
 
その先坂を下って行くと前方に町が見えていた。
 
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恐らくそこは今別の町なんだろう、、、とすると、三厩はもうその先と言うことだ。
 
坂を下った先では海岸線に沿って暫く進んだ。
 
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道路脇には「今別海岸」と書かれた標柱が立っていた。
 
その先の今別川河口付近で、旧道は少し内陸側に迂回するようなルートを辿っていたようなのでその道に入って行くと、今別川を渡る「あすなろ橋」が工事中で渡れなくなっていた。
 
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何ともタイミングが悪いと言うか、残念で仕方がなかった。
 
それで止む無く迂回した道を元に戻って歩くことにした。
 
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そして、今別川を渡る現代の橋、今別橋を渡っている時、左手には、本来の旧道のルートとなっている辺りに架かっていたあすなろ橋がむなしく見えていた。
 
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今別川を渡ると、その先は今別宿の中心部に入ったようだった。
 
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それにしても、町の中心部だろう辺りなのにほとんど人の姿を見かけなかった。
 
更に今別の町中を進む。
 
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その先で左手にJR津軽線の小さな鉄橋が見えた。
 
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前日蟹田宿で旧道と分かれたJR津軽線が今別で再び旧道と近づいたと言うことだ。
 
その先で前方を見ると、正面の山の中腹に大きな屋根のようなものが微かに見えた。
 
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位置的にそれは三厩の義経寺ではないかと思えた。
 
となると、、、。
 
あの辺りが三厩のゴール地点と言うことになる。
 
目標が目に見えたと言うことで、少し体力が蘇ったような気持ちになった。^_^;
 
時刻は午後0時50分の頃だった。
 
その先、JR津軽線が左手に走っている道を進んで、午後1時の頃、旧道(=国道280号線)は再び今別バイパスと合流した。
 
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そこにあった表示には「三厩駅」も書かれていたので、ゴールが間近であることがわかった。^_^;
 
その先ですぐに今別バイパスとは左手に分かれて、旧道は今別バイパスを右手に見るようにして進んだ。
 
そして、その先には左手三厩小学校があるところを通過した。
 
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「三厩」の文字を見ると、もうすぐだ、と言う感じだった。
 
そしてまた、ここの道はその広さからして、バイパスが出来るまではこの辺りの主要道路だったんだろうが、この時はほとんど車両の通行もなく、人の歩く姿も見なかった。
 
その先で「三厩川」を渡って進むと・・・。
 
前方に「厩石公園」が現れた。
 
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そこが松前街道のゴールだった。
 
そのすぐ左手には山頂に建つ義経寺に向かう階段が見えていた。
 
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と言うことで、午後1時30分。
 
何とか、奥州道中(陸羽街道+松前街道)のゴールに到着した。ヽ(^o^)丿
 
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最後は何だか時間との勝負みたいになってしまったが、2009年8月20日に福島県白河の女石交差点手前からスタートした奥州道中(陸羽街道+松前街道)を、約7年掛かって踏破した。
 
いやぁ~~、歩いた期間も長かったが距離も長かった。
 
その分、いろいろな思い出もあったなぁ~~。
 
いやぁ~~、
 
楽しかったなぁ~~。ヽ(^o^)丿
 
・・・
 
さて、厩石公園で一休みしつつ、、、
 
そこに着く少し前の三厩に入ったところで旧道と並行して走っていた今別バイパスにコンビニ(ファミマ)を見つけた。
 
コンビニを見たのは、前日に通った蟹田宿にあったデイリーヤマザキ以来のことで、ここをスルーしたら恐らくこの先コンビニには出会えないだろうと思って、少しゴールまでには時間があったが、ゴールした時のビールをそこで買った。
 
厩石公園に着いた後、そのビールで一人乾杯をして、さて、この後どうしようかと考えた。
 
三厩駅を出るJR津軽線は、この後午後2時53分発のがあったが、その次は午後5時46分となっていた。
 
それで午後2時53分発に乗ることにして、それまでの時間を使って「義経寺」に立ち寄ることにした。
 
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義経寺はその名前が示す通り、源義経に関係ある寺だ。
 
そして、義経寺からは眼下に三厩港が見えた。
 
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この先はここから松前か?
 
いやいや、、、^_^;

2016年8月 7日 (日)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く⑥(三日目) 外ヶ浜町砥石辺りから山崎辺りまで

午前9時35分を過ぎた頃、外ヶ浜町の奥平部と言う地区に入ったところで、国道280号線から左に分かれるところに着いた。
 
朝宿を出てから、ほとんど国道280号線を歩いて来たが、久しぶりに国道ではない江戸時代の松前街道だった道がその先左手に続いていた。
 
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*赤いルートが旧道のようだ。
 
その左手の道に入ると、すぐに急な登り坂になっていた。
 
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恐らく、、、。
 
今回浅虫温泉をスタートしてからの三日間の街道歩きの旅の中で、一番急な坂道だった。
それくらい、これまでのルートでは平坦な部分が多かった。
 
浅虫温泉からの道中では途中何か所か緩やかなアップダウンはあったが、この先の道はかなり厳しかった。
 
その道は車も走っていないような感じの道で、道の両側は野草がぼうぼうに生えていて、もちろん民家のような建物など一軒も見ることはなかったが、その登りの道を進んで行くと、漸く平坦なところに出た辺りで、左手に突然、廃屋のような建物が現れた。
 
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その建物への入口部分には門のようなものがあったのでよく見ると、そこには「今別町立開智小学校校舎跡地」と刻まれた石碑が建っていた。
 
それを見て、ちょっと驚きだった。
 
それは、こんな坂道の上に小学校の校舎が建っていたと言うことがひとつだった。
 
地震が発生した際にはこのような高台に校舎があると言うことは安全面から考えればそれはそれでいいんだろうが、日常的に小学生が毎日通学するのに適していたんだろうか?と思った。
(しかし、今にして思うと私が通った中学や高校はちょっとした丘の上に建っていて、そこへの登りが結構きつかったし、近所には丘の上に建つ小学校もあるので、こうしたところに建てることはよくあったのかもしれない。)
 
それにしても、夏場はいいかもしれないが、冬、雪が積もった時にはどうやって通学していたんだろう?
 
そして、そんな小学校も今は廃校になってしまっていると言うことが二つ目の驚きだった。
 
調べてみたら、2000年に今別地区にあるこの開智小学校を含む3校を統合し今別小学校として、その際ここは廃校になったようだった。
 
その後更に2003年、2004年に近隣の小学校を統合して現在の今別小学校となったようだが、旧開智学校から今の今別小学校までは約10キロメートルもある。
 
この距離を小学生が毎日通学するのはさぞや大変だろう。
 
しかしこれが現実なのかもしれない。
 
今まで奥州道を歩いて来た際に、朝や午後になってからでも、通学途中の小学生の姿は何度も目にしたし、時々は「こんにちは」とか「おはようございます」とか声を掛けてくれたりもした。
 
が、今回浅虫温泉を出発してからは、通学中の小学生の姿を一度も目にしていなかった。
 
いやはや、それを思うと何とも寂しい話だ。
 
そして開智小学校跡地の前を通り過ぎてからはその先は坂道を下って行って、再び国道280線に合流した。
 
その合流地点には、赤い大きな岩があって、その近くには「赤根沢の赤岩」と書かれた標柱が立っていた。
 
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調べたところ、その近くにある赤根沢地区では朱色の岩塊が露出していて、一帯30アールが県の天然記念物に指定され、旧跡となっていると言う。
 
江戸時代にはこの岩から赤い顔料が作られ、日光東照宮や岩木山神社の大堂、山門等の修復にも用いられたと言う。
 
なるほど、、、。
 
確かに見事なほどに赤い岩だ。
 
ところで、江戸時代の道がこのように山の手を通っていたと言うことは、この辺りの海岸近くはかなり厳しい状況だったと言うことなんだろう。
 
そして、ひと汗、ふた汗、大汗を搔いて再び国道280号線に戻って進むと、左手に稲荷神社の鳥居が何基も建っているのが見えた。
 
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ここまで来る間にも山の手に鳥居が連なっているのを何度か目にして来たが、海岸線をずっと歩いて来て高台に建っている神社が多いように思えた。
 
それはもしかすると、津波対策なんだろうか?とも思ったが、本当のところはどうなんだろう?
 
その先砂ヶ森地区を通り過ぎると、道は緩やかに登りになって行って、午前10時の頃、高野崎と書かれた場所に着くと、右手は広場のようになっていてその奥には建物が見えた。
 
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そこはちょっとした観光スポットになっているようで、飲食店のような建物が2~3軒あって、トイレも備わっていた。
 
時間的に開店間際のようで、開店準備をしているような人の姿もあった。
 
そしてその建物の一角に無料休憩所があったので中に入ってみると、冷水が入ったポットとコップが容易されていて「ご自由にどうぞ」と書かれていたので、これは天の助け!と思って、喉を潤そうと思ってポットを手に取ってコップに冷水を注ごうと思ったら、、、。
 
中に入っていたのはまだ氷の塊で、ほとんど冷水は流れ出て来なかった。
 
来るのが少し早かったようだった。
 
それで止む無く、そこではトイレを借りるだけにして再び出発することにした。
 
その先は特に何もない山間の道を進んで、今度は下りになって行った。
 
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坂を下って行って平坦な道に出ると、その辺りは「袰月」と言う地区のようだった。
 
その先左手に赤い鳥居が建っていたが、その手前のところに「史跡 伊能忠敬止宿」と書かれた標柱が立っていた。
 
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何と、あの伊能忠敬大先生がこの地に宿泊していたとは!?
 
まぁ、考えてみれば毎日どこかには泊まっていた訳だから、こうした場所があっても不思議ではないだろうが、その場所がこうして残されていると言うことが驚きだ。
 
いや、それにしても伊能大先生の足跡に触れることが出来たようで、何だか嬉しかった。^_^;
 
その先で「外ヶ浜(三厩)14km」と書かれた標識があった。
 
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朝宿を出発してから11キロメール歩いて来たことになる。
 
その頃時刻は午前10時半頃だった。
 
3時間で11キロメートルか、、、ちょっとペースは落ちて来ているのがわかった。
 
そのすぐ左手には、今度は大きめの祠があって、それはガラスの引き戸がある変わった祠だった。
 
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しかしこれならお参りしやすいだろう。
 
外には花も生けてあって、日常的にお参りが行われている様子が伺えた。
 
その先は海岸から少し離れ、徐々に登り坂になっていった。
 
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その先右手には「袰月海岸」と書かれている場所があった。
 
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そこは真下に切り立っていて風光明美なところのようだった。
 
その先大泊地区に入ったところで、旧道は国道280号線から右手に分かれた。
 
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そこからは下り道になっていて、下った先に集落があった。
 
すぐにその集落を過ぎると、、、。
 
下った後は登り道で、登った先で再び国道280号線と合流した。
 
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すると、その先右手の草木が多い茂る中に「旧松前街道~」と書かれた標柱が立っているのを見つけた。
 
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どこのどなたが書いたものか知らないが、何とも嬉しい気持ちがした。^_^;
 
そしてその先は暫くまた海岸線の道を進んだ。
 
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時刻は午前11時20分を過ぎた頃だった。
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年8月 5日 (金)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く⑤(三日目) 平舘宿から外ヶ浜町砥石辺りまで

長かった奥州道中(陸羽街道~松前街道)歩きのいよいよ最終日、予定通り歩ければ午後にはゴールの三厩に到着するのだ。
 
この日は街道歩きのための鉄道やバスでの移動はなく、宿泊したペンションだいばの真ん前の道が奥州道中(松前街道)となっているために、宿で朝食を摂ると、その後サクサクと街道歩きをすることが出来た。
 
と言うことで、時刻は午前7時30分。
 
三厩に向けて、レッツ、スタートだ!ヽ(^o^)丿
 
・・・
 
宿を出ると、目の前には昨日の延長のように、松の木が並んでいた。
 
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朝から気持ちがいい。
 
そのすぐ先に、「外ヶ浜(三厩)25km」と書かれた標識があった。
 
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25キロメートルとなると、平均時速4キロメートルで歩けば6時間ちょっとのところだが、写真を撮ったり休憩したりすることを考えれば歩く速度はもっと遅くなる。
 
実は、この日は朝から頭の中では、三厩に何時頃着けそうなのか?、、、と言うことを考えていた。
 
と言うのは、三厩駅から出るJR津軽線は午後だと1時間から2時間に一本しかないので、何時に三厩に到着するかが大きな問題だったのだ。
 
さて、その近くの海岸沿いの壁には、そこが国道280号線であることを示す表示があった。
 
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そこには「松前街道」と言う文字も書かれていて、なかなか洒落ているんじゃないかと思った。^_^;
 
また、その数分歩いた先には「石崎沢(1)遺跡(縄文時代)」と書かれた案内板が立っていた。
 
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道の端にぽつんと、それとなく立っていたが、これってなかなかすごいことなのではないだろうか?
 
縄文時代からこの辺りには人が住んでいたってことでしょ?
 
いやはや、、、恐れ入りました。
 
ちなみに、ここでは(1)と書かれていたが、その先には(2)と書かれた案内板があった。
 
そして、宿を出発して30分ほど進むと、前方に巨大な構築物が見えて来た。
 
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これは一体何なんだろう?
 
それに近づくに連れ、その巨大さが増して来たように感じたが、形と言い大きさと言い、今までに見たこともないようなもので、それが何なのかわからなかった。
 
そして、この日も道路沿いにはあの祠と百万遍の碑があったが、これはガラス戸で中が見えるタイプだった。^_^;
 
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中のお地蔵さんはやはり着物を着ていた。
 
更に旧道を進む。
 
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あそこを海岸線に沿って歩いて行くと思うと、何だか大変だな~とつい気持ちが弱くなってしまう。
 
その先歩道を歩いていると、歩道に何と、洗濯物が干してあるではないか!?。
 
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まぁ、それくらい、ここは人通りがないと言うことなんだろう。^_^;
 
宿を出てから約35分、「外ヶ浜(三厩)21km」の表示があった。
 
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と言うことは、時速4キロメートルくらいのペースで来ていると言うことだ。
 
今のところ順調だ。^_^;
 
そして、午前8時40分過ぎ、平舘村を出て今別町に入った。
 
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その後10数分進んだところ右手に「岩屋観音」があった。
 
宿で、この先に岩屋観音があると聞いていたのでそんなに遠くないと思っていたが、かなり先だった。
 
その右手にあった階段を下りて行くとその先に祠があった。
 
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また、その祠の近くの岩壁に花が咲いていた。
 
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これは、なでしこだろうか?
 
そして、その先には「鬼泊トンネル」と書かれたトンネルがあった。
 
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鬼泊と言う名前からして、江戸時代は難所だったことが伺える。
 
そして、トンネルが開通する前は海側を越えたのか山側を越えたのか、と思いながらトンネルを出て振り返ると、、、。
 
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トンネルの海側が何となく歩けそうな雰囲気だった。
 
恐らく、海の状況を、満ちてるとかひいてるとか、波が荒いとか静かだとか、それを見ながら通っていたのかもしれない。
 
そして、トンネルを出た先左手には「だるま滝」があった。
 
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大きな岩の肌を撫でるように幾筋もの小さな水の流れがあって、その岩の形からその名前が付いてるかもしれないと思った。
 
そこから10数分進むと、今度は扉がない形の祠があった。
 
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今までの祠はほとんどが扉があってそれが閉まっていたので中のお地蔵さんの姿がよく見えなかったが、これならよく見えた。
 
この頃時刻は午前9時20分の頃だった。
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年8月 4日 (木)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く④(二日目) 蟹田宿から平舘宿まで

午前11時30分、蟹田宿を通過して行くとその先で国道280号線から旧道は左手に分かれた。
 
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そこから20分ほど歩いたところには、国道沿いを歩く時とは違った雰囲気の町並みが続いていた。
 
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それにしても人はいないし車も滅多に走っていない。
 
そして旧道に入ってから30分ほど進むと、少しずつ高台に入っていた。
 
右手下には国道280号線と、その先にある漁港が見えていた。
 
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その辺りで朝から15キロメートルほど歩いて来ていたので公園等があったら一休みしたいと思った。
 
しかし、そのような施設等全くなくどうしようかと思ったが、前からも後ろからも歩いて来る人はいないし、また車も全く走ってなかったので、道端で適当なところを探して休むことにした。
 
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その辺りは左手の崖が切り取られてコンクリートで固められていたので、江戸時代の頃の道は今よりももっと狭かったに違いない。
 
また、今まで歩いて来た海沿いの道ではなく山側を歩くことになっていたのは、海沿いは海が迫っていて道が確保出来ない状態だったんだろう。
 
さて、休憩を終えて歩き始めると、旧道は徐々に下り始めて10分ほどで再び国道280号線に合流した。
 
そして、その先で次の宿場平舘村に入った。
 
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そこから数分ほど進むと、旧道は今度は国道280号線から右に分かれて入って行った。
 
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そこから暫くは海沿いの道を進んだ。
 
この辺りは平舘磯山地区だったろうか、、、旧道の脇に並ぶ家屋。
 
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そして右手には、恐らくホタテの貝殻だろう、、、それらが山になっているのが見えた。
 
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さすがはホタテの町だ。
 
そう言えば、ここまで来る間にも、ホタテの加工工場のような施設がいくつもあった。
 
青森市内を過ぎてからは右手に漁港をたくさん見て来たが、この辺りではホタテ漁が多く行われているようだ。
 
そして、再び国道280号線に合流すると、そこからはまた暫くの間国道となっている道を歩き、午後0時50分の頃、平舘舟岡地区に入った。
 
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その先今度は国道280号線から左手に分かれて旧道は進んだ。
 
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その先で国道280号線に合流すると、右手には「青森ほたて」の看板が立っていた。
 
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そして午後1時50分の頃、右手に「吉田松陰 乗船の場」と書かれた案内板が現れた。
 
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何と、吉田松陰は東北にやって来ていたとは!?
 
それで調べたところ、吉田松陰22歳の時、当時津軽海峡を外国船が堂々と往来していることを知って、脱藩覚悟で東北地方にやって来たと言うのだ。
 
そして苦労の末三厩に到達し、その帰り道、平舘のここから舟に乗って青森に向かったらしい。
 
いやぁ~~、街道歩きをしていると、いろいろと勉強になるものだ。^_^;
 
その先10分ほど進むと、民家の脇に青いそれほど大きくない網が小さくまとめられていた。
 
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それはホタテを採る網だと、後でペンションで聞いた。
 
その先旧道の脇に並んでいる建物。
 
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今まであちこちの旧街道を歩いて来て、このような景色を見たことはなかったので何と言っていいかわからないが、壊れかけた建物や人が住んでいないような家もあったようで、何とも静かな旧街道、と言う感じだった。
 
その辺りになると、下北半島が更に近くに見えた。
 
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そして、時々津軽半島との間をフェリーやタンカーが走っているのが見えた。
 
後でペンションで聞いたところによると、平舘と下北半島の間は一番短いところで12キロメートルしかないと言うことだった。
 
またこの辺りは漁業をしている家が多いようで、何と呼ぶのか、浮き球のようなものがたくさん並んでいた。
 
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そして、これは平舘のマンホールの蓋。
 
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灯台がモチーフになっているが、確かに灯台があった、、、と言うかこの日泊まるペンションのすぐ裏が灯台だった。^_^;
 
その先左手には、閉鎖したガソリンスタンドがあった。
 
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これまでも何カ所かでこのような閉鎖したガソリンスタンドがあったが、これからどうなってしまうんだろうと心配になった。
 
その先平舘村の中心部辺りに入ったところで、左手に「不老不死温泉」の案内板が出ていた。
 
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実は今回の歩き旅を計画した際に、平舘で泊まろうと考えてまずこの温泉を候補にしたが、翌日の行程を考えて出来るだけ三厩に近いところで泊まれるところがいいと考えなおして、ここはパスした。
 
その頃時刻は午後2時半近くだったので、ここに泊まることにしていたら、随分と早いチェックインになっていたところだ。^_^;
 
その先20分ほど進むと、左手には平舘神社が建っていた。
 
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村の名前が付いている神社だ。
 
そして更に10分ほど進むと、目の前には旧道の左右に立派な松並木が現れた。
 
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そこには「津軽国定公園入口」と書かれた看板が立っていたが、そこから暫く先までは国定公園内のようだった。
 
そしてその先進むと、目の前に「史跡 平舘台場跡」と書かれた案内板が立っていた。
 
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ここは江戸時代、嘉永二年(1849)に外国船に対する守りと言うことで弘前藩が構築した砲台跡で、その2年前に異国船が現れて乗組員が上陸したので急ぎ構築したのだと言う。
 
その奥には土塁の跡がしっかりと残っていて、当時の緊張感が伝わって来るようだった。
 
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そしてその一角には、久々にそこが松前街道であることを示す石柱が建っていて、それが何だか嬉しかった。^_^;
 
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その先にこの日泊まるペンションがあったが、まだ時間が少し早かったので、近くにあった「おだいばオートビレッジ」と言う施設に立ち寄って、そこで一休みしつつ缶ビールを買って一息ついた。^_^;
 
ちなみに、その向かいには「道の駅 たいらだて」があったが、土日しか営業していないとのこと。
 
よほど平日は人がいないんだろうなぁ~~、と何とも寂しい気持ちになった。
 
・・・
 
と言うことで、少々早いが午後4時15分の頃、松前街道沿いに建つ「ペンションだいば」に到着した。
 
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そう言えば、、、。
 
「ペンション」と名の付く宿泊施設に泊まるのは20数年ぶりだろうか。
 
と思うと、何だか少し嬉しい気分だった。^_^;
 
・・・
 
部屋の窓を開けると、海の向こうには下北半島、そして窓の外には灯台が見えていた。
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年8月 3日 (水)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く③(二日目) 後潟駅から蟹田宿まで

青森駅から出ているJR津軽線は、朝の時間帯でも概ね2時間に一本しか運行していない。
 
なので、一本逃すととんでもないことになる。
 
と言うことで、朝8時05分青森駅発に乗り遅れないよう余裕を持って宿を出たが、途中でコンビニに寄って日焼け止めクリームを買ったりしたので、結局数分の待ち時間でJR津軽線の蟹田駅行きに乗った。
 
実は、前日の街道歩きの結果、気温はそれほど上がっていなかったが、顔から腕からかなり日焼けをしてしまって、ホテルで風呂に入った時には肌がかなりひりひりした。
 
それで日焼け対策として日焼け止めクリームを買うことにしたのだ。^_^;
 
そして、定刻通りJR津軽線の蟹田駅行きが出発すると、昨日の最終地点である後潟駅に向かった。
 
青森駅ではそこそこの乗客がいたが、最初の油川駅で乗っていた高校生達がほとんど降りると、車内はほとんどガラガラになった。
 
そして、後潟駅に定刻通り8時26分に着くと、私の他に数人の女性客が降りたが、その人達は皆、駅を出てすぐ右手にあった建物の中に入って行った。
 
これがJR津軽線の実情なんだろう。
 
この様子だと、いつまで運行してもらえるんだろうか?と、心配になった。
 
・・・
 
さて、そんなことで8時29分、昨日の最終地点の地、国道280号線に戻って街道歩きの続きをスタートした。
 
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・・・
 
スタートして20分ほど進むと、左手にスーパーがあった。
 
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昨日、あれほどあって欲しいと思ったのになかったスーパーが、こんなところに出現するとは!?、、、と言う気持ちだった。
 
が、出発早々のこんな時間に出くわしても特に買う物もなく、何とも間が悪いと言うか、残念な気持ちだった。
 
それくらい、青森市内から先はほとんどこの手の店はなかったのだ。
 
その先左手を走るJRの線路を感じつつ、中沢駅を通り過ぎて進むと、旧道は蓬田町に入った。
 
そして蓬田駅、郷沢駅を過ぎてその先右手には、「よもぎた物産館:マルシェよもぎた」と言う施設が現れた。
 
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時刻は午前10時、恐らくこの先トイレ等の施設はほとんどなさそうなので、ここでトイレを借りて一休みした。^_^;
 
その先を進むと、瀬辺地に入った。
 
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そこに立っていた標識の中の黄色いプレートに書かれていた「22.0km」はキロポストの一種で、恐らく例の、青森市内の善知鳥神社の辺り、松前街道の起点となっていた辺りからの距離なのかもしれない。
 
その先には、松前街道を歩いていて何度も見かけたお地蔵さんが入っている祠と、百万遍と刻まれた石碑が建っていた。
 
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この百万遍の石碑もこの他に何度も目にした。
 
祠の中を見ると、お地蔵さんが皆同じように着物を着ていたので、こうした同じスタイルの祠があると言うことは、同じ人達が造ったものなのか?とも思った。
 
お地蔵さんを見てもそれを守る祠を見ても、そう古いものではなさそうに思えた。
 
瀬辺地を過ぎて暫く進むと、それまで数十メートル左手を並走していたJR津軽線の線路がすぐ左手に近づいて来た。
 
それに合わせるように、右手に続いていた民家の建物もなくなり、すぐ海が見えるようになった。
 
急に視界が開けた感じだった。
 
え~~、ちなみに、歩道はありません。
 
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すると、右手の海の向こうに島影が見えるではないか?
 
位置的に見て、あれは津軽半島の対岸にある下北半島ではないかと思った。
 
30代の頃下北半島はバイクで一周周り、その後陸走して津軽半島も周ったが、結構な距離を走った記憶がある。
 
その下北半島が目と鼻の先のような距離に見えるのか?
 
そんなことを思いながら道を進むと、その先で蟹田の集落に入った。
 
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蟹田は江戸時代には蟹田宿があったところで、現在では青森駅を出てこの辺りまでずっと平行して走って来たJR津軽線と松前街道がいよいよ分かれるところになっていた。
 
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松前街道はこの先海岸線に沿って北上するが、JR津軽線はそこから左手に分かれて松前街道をショートカットする形で北西に進み、その先今別辺りで再び松前街道と合流することになる。
 
と言うことで、蟹田を出ると今別に着くまで鉄道路線はないため、途中で鉄道に乗って手前に戻るとか先に進んで宿を取ると言うことが出来なくなる。
 
即ち、蟹田を出ると、途中で宿泊をするにしてもしないにしても、次の今別に辿り着かなくてはならないことになるのだ。
 
と言うことで蟹田の町中に入ると、「青函トンネル記念館」とか「むつ湾フェリー」とか書かれた標識があった。
 
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それを見ると、「結構北に来てるな~~」と言う思いがした。^_^;
 
その頃時刻は午前11時20分の頃だった。
 
その先左手に珍しくコンビニのデイリーヤマザキの店舗があった。
 
いやぁ~~、久々のコンビニ! 珍しいなぁ~~、と思った。
 
昼食の時間にはまだ早かったのでどうしようか考えたが、その辺りにそれらしい飲食店は見当たらなかったので、コンビニに寄って、いざと言う時のためにおにぎりでも買っておいた方がいいかなと思ったが、まだ町中に入ったばかりだったので、いくらなんでも飲食店の一軒や二軒はあるだろう~~、JR津軽線の駅がある町だし、、、。
 
と思って先に進んだのが運の尽きだった。(*_*)
 
結局、その先でそれなりの飲食店を見つけることが出来なかった。
 
もしかしたら地元の人が利用する店があったのかもしれなかったが、その時の私には見つけることが出来なかった。
 
と言うことで先に進んだ。
 
その先には観瀾山公園があって、左手の小高い山がその観瀾山らしく登れるような道が見えた。
 
Img_3306
 
資料によるとその山の上からの眺めは素晴らしいとあったが、まだ先の行程があったし体力を温存したかったのでスルーして先に進むことにした。^_^;
 
更に進むと、歩道の目の前に「いかハンバーグ ペンションだいば」と書かれた看板が立っていた。
 
Img_3310
 
「いかハンバーグって、何だ?」と言う疑問と興味が湧いたが、それとは別に、実はこの日の宿は、そのペンションだいばを予約していた。
 
そしてその看板をよく見ると、上に赤く小さな文字で「あと13km」と書かれているではないか!?
 
「あと、13キロメートルか、、、この道なら車で10数分ってところだろうけど、歩くとなると、3~4時間は掛かるんだよね・・・」
 
とは思いながらも、その日のゴールが見えて来たことで、ほっとした。^_^;
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年8月 1日 (月)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く②(一日目) 合浦公園から後潟駅まで

旧奥州道は合浦公園の中を貫通する形で進んでいる。
 
その公園の中には、歴代弘前藩主がその松の木の下で酒宴を行ったと言う「三誉の松」と呼ばれる松の木があるとのことなので、せっかくなら見てみたいと思ってその松の木を探した。
 
公園の中にはあちこちに、それなりの立派な松の木があって、それを見て周ったが目的の松の木は見当たらなかった。
 
そうこうしていると、合浦公園に入ってから真っすぐに進んだところに戻って来ると、ひと際目立つ立派な松の木があった。
 
それが「三誉の松」だった。
 
Img_3003
 
なるほど、、、。
 
素直に旧道を真っすぐに歩いて来れば、難なく見つけられたと言うことだったようだ。^_^;
 
合浦公園を抜けて進むと、堤川を渡った先で右手に一度折れてその先で左に曲がってからは暫くは一直線に道を進んだ。
 
そして、青森県郷土館の建物を右に見て進んだ先で柳町通りを渡ると、その先の交差点がちょっと無理した交差点になっていた。
 
そこが札ノ辻だったようで、そこを左手に行ったところに「善知鳥神社」があった。
 
Img_3043
 
「善知鳥」は「うとう」と読むようで鳥の名前のようだが、朝通過した明治天皇が休憩したことを記念して建てられた石碑があった脇のトンネルの名前もまた「うとうトンネル」と書かれていた。
 
ところでこの「うとう」と言う名称は、旧街道を歩いていると所々で目にする。
 
記憶にあるところでは、中山道を日本橋から歩いて太田宿から鵜沼宿に向かう途中で「うとう峠」を越えた。
 
国道から分かれて山の方に入って行くと公園のようなところを通過して、そこを抜けて下り始めるとその辺りは住宅街になっていて、その上りと下りのギャップが印象的で、下りの道では遠くに犬山城が見えた?ような記憶がある。
 
その他にも長野県の塩尻峠に「善知鳥峠」と言う峠があるようで、それだけあちこちの峠や海岸沿いの難所にその名前が付いていると言うことは、何かそれなりの意味があるんだろう。
 
そして、その神社前には「奥州街道終点記念の碑」と「青森市道路元標」の石碑が建っていた。
 
Img_3039
 
Img_3040
 
資料によると、「奥州街道終点記念の碑」と書かれているように、江戸の日本橋から始まって白河まで続いていた所謂奥州道と、その先続いていた陸羽街道はこの地が終点で、この先三厩までの道は「松前道(とか、松前街道)」と言われていたようだ。
 
と言うことで、ここから先は気持ちも新たに、松前道を終点の三厩に向かって歩くと言うことになった。^_^;
 
・・・
 
さて、松前道は善知鳥神社の脇から真っすぐに1km弱ほど進んで、JR青森駅前に出た。
 
Img_3060
 
今朝、青い森鉄道で出発地点の浅虫温泉駅に向かうために旅だったところに再び戻って来たと言う訳だ。
 
ここから旧道は駅を跨ぐ形で駅の反対側に続いていたようなので、駅近くの歩道橋を渡って駅の反対側に出た。
 
Img_3062
 
その先進むと、旧道は国道280線として続いているようで、道路標識にはこれから向かう先の「龍飛」とか、当面の目標である「蓬田」と言う地名が表示されていた。
 
Img_3071
 
青森駅を過ぎて旧道となっている国道280線を進むと、沖館の集落に入った。
 
その辺りから旧道は青森湾に面した海岸線沿いを進むようになっていた。
 
歩きながら右手を見るとほとんどどこでも海岸が見えた。
 
そして油川宿に入った辺りで、「とうふ村」と書かれた看板を見つけた。
 
Img_3083
 
これは何だ!?、、、と興味を惹かれたが、街道歩きが主目的だったので、そのまま先に進んだ。
 
その先油川宿の仲町に入ったところには、右手に昔ながらの建物の「西田酒造店」が建っていた。
 
Img_3101
 
この店は、「明治11年(1878年)創業の青森市唯一の酒蔵『田酒』『喜久泉』の醸造元」とホームページに書かれている店だったので、その酒を賞味したいと思ったが、残念ながら店は閉まっていた。
 
後で調べたところ、この店では酒は造っているが小売りはしていないと言うことだった。
 
まぁ、機会があれば是非とも飲んでみようと思っている。^_^;
 
ちなみに、、、。
 
この「西田酒造店」のホームページに、「青森県と善知鳥」のことに関することが書かれていた。
 
と言うことで参考までに、、、。 → 「青森県と善知鳥
 
さて、この店の並び、少し先には「羽州街道 松前街道 合流之地」と刻まれた石碑が建っていた。
 
Img_3103
 
なるほど、、、。
 
奥州道の福島県内にある「桑折宿」を通った時に、そこから奥州道から羽州街道が分かれていると言うことを聞いていた。
 
そうか、、、。
 
あそこで分かれた羽州街道が、山形県や秋田県を通って、ここに続いていたと言うことなんだ。
 
と思うと、いつかは羽州街道も歩いてみたいと思ったが、羽州街道はかなり厳しそうなので、さて、どうなりますことやら?^_^;
 
さて、この油川宿に達したとことで、浅虫温泉駅からは約20キロメートル歩いていた。
 
ぼちぼち足も疲れて来ていた。
 
それで、羽州街道との追分から40分ほど進んだところで海岸近くにベンチがあったので、そこで休憩を取った。
 
Img_3119
 
そこで約15分ほど休憩を取って再び歩き始めると、その先で道端に小さな祠があった。
 
Img_3148
 
その中には着物を来たお地蔵様が安置されていたが、その先同じような祠がいくつもあった。
 
そのほとんどは同じように中のお地蔵様が着物を着ていたが、これはこの地方独特の風習なんだろうか、と思った。
 
その後の旧道は青森湾に沿って、ほとんど真っすぐの道が続いた。
 
とにかく、歩いている人の姿はほとんど見かけず、コンビニは一軒もなく、飲食店を始め何かを営業しているような店はほとんど見かけなかった。
 
その先、右手には海岸線、左手にはJR津軽線の線路が付かず離れずと言った感じで走っているのを見つつ歩いた。
 
Img_3166
 
途中小学校が街道沿いにあったが、今まで多くの街道を歩いて来て、小学校があるところにはほとんど正門前に歩道橋があったもので、逆に歩道橋があると「そこに小学校がある」と気が付いたものだが、その辺りの小学校の前には歩道橋がなかった。
 
恐らく車の交通量が都会に比べれば格段に少ないために、歩道橋を造る必要がないと言うことなのではないだろうか。
 
そして、その先左手にJR津軽宮田駅、JR奥内駅、JR左堰駅があることを確認しながら過ぎると、その先右手には立派な松の木が生えていた。
 
Img_3177
 
Img_3178
 
その松は「昇竜の松」と呼ばれていて、推定500年の樹齢があるそうだ。
 
その先で、左手にJR後潟駅があるところに着いた。
 
Img_3182
 
浅虫温泉駅を出発してから約29キロメートルほど歩いて来たことになる。
 
時刻は午後3時10分頃だったが、体力的にも厳しく、またJR津軽線は本数も少ないと言うこともありで、、、。
 
それと、実はこの日は途中で昼食を摂りそびれていて、、、と言うのは、青森市内を通過した際にどこかで食べておけばよかったのだが、時間が中途半端だったのでその先で、と思ったのがまずかった。
 
結局青森市内を抜けた後は、飲食店は一軒もなかったので、昼食を摂る機会を逸してしまった。
 
そんな諸般の事情を考慮して、時間的にはかなり早いがこの日はここで街道歩きを終了とした。
 
・・・
 
JR後潟駅に着くと、そこは見事なほどに無人駅だった。
 
Img_3183
 
と言うのは、無人駅とは言っても全国の無人駅の中には整理券を発行している駅もあるが、この駅には何もなかった。
 
では、どうやって運賃を支払えばいいんだろう?、、、とちょっと疑問に思った。
 
が、まぁ、乗れば何とかなるだろう。^_^;
 
そして、駅前には店らしいものは一軒もなかったので、街道歩き終了の「一杯」を味わうことは出来なかった。
まぁ、これもその地方ならではのこと。
それにしても、腹は減ったし喉は乾いたし、乾杯は出来ないし、疲れたし・・・。
 
そして、待つことしばし、やって来た青森駅行きの列車に乗ったのは、私一人だけだった。
 
それで車両に乗り込むと、、、。
 
車掌さんとは別の係りの男性が早速私の所にやって来て、「切符はお持ちですか?」と聞いて来た。
 
「いえ」と答えると、「どちらまで」と言うので「青森駅まで」言った。
 
すると、早速手持ちの機械を操作して、薄っぺらい切符をプリントアウトして、運賃を求められた。
 
Img_3187
 
子供の頃、バスにまだ車掌さんがいて、バスに乗ると切符を発券してもらった時のことを思い出した。^_^;
 
これは都心にいては体験出来ないことで、ある意味面白かった。^_^;
 
・・・
 
と言うことで、この日は青森駅まで戻って市内のビジネスホテルに宿泊した。
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年7月31日 (日)

奥州道中(陸羽街道)、青い森鉄道浅虫温泉駅から三厩まで歩く①(一日目) 浅虫温泉から 合浦公園まで

江戸幕府が制定した五街道は既に踏破していたが、そのひとつ、「奥州道」は江戸時代の管轄は福島県の白河までだが、その先も街道は続いていた。
 
その道は、福島県を出た後現在の宮城県、岩手県、青森県を通って、北海道の松前に渡るための港町、津軽半島の三厩まで続いていたと言うことで、これは是非とも三厩まで歩きたいと思った。
 
そして、2009年8月20日、白河を出発してから7年かけて昨年5月青森県の浅虫温泉まで着いた。
 
それから一年、いよいよ三厩まで歩こうと思い立ち、今年の7月11日、浅虫温泉から陸羽街道歩きをスタートした。
 
・・・
 
7月11日、青森駅から青い森鉄道に乗って浅虫温泉駅に着いたのは朝7時43分だった。
そして、いよいよの陸羽街道歩きをスタートした。
 
駅前には一年前この地でゴールした時に利用した足湯があって、そこに足を浸けたい思いもあったが、朝からいきなり足湯は危険なのでやむなくスルーした。^_^;
 
Img_2868
 
駅前の旧街道沿いには温泉旅館が並んでいたが、その中で道沿いに何やらお湯が流れ出ているモニュメントのようなものがあった。
 
Img_2872
 
近づいてそこから流れ出て来るお湯?に触ってみると、、、
 
思った通り、お湯だった。
 
そこには「かけはしの湯」と書かれていた。
 
さすがは青森県有数の温泉地だ。
 
その先進むと、国道4号線に合流してそこから先は海岸線沿いの道を進んだ。
 
海の向こうに町並みが見えるが、あれは青森市内なんだろうか、と思いながら歩く。
 
Img_2884
 
その先にトンネルが現れた。
 
Img_2885
 
そのトンネルは「うとうトンネル」と言うようで、この地は江戸時代は「善知鳥崎」と呼ばれる難所だったようだ。
 
トンネルのところにあるプレートには「1980年3月」と書かれていたが、それまでは海側の旧道か山側の道を通っていたと言うことなんだろうか。
 
が調べてみると、昭和7年に造られた旧トンネルがあったようで、そのトンネルの幅員が狭く、一般交通の隘路となっていることから1980年3月に造り直されたようだ。
 
そのトンネルが出来る前までのルートのひとつとして、トンネルの右手に道が続いている様子があった。
 
それでトンネルの右手の方に進むと、その先にはロープが張ってあって、「立入禁止」の札も掛かっていた。
 
が、そこから先を臨むとそこには「道」が見えていたので、いけないこととは思いつつもロープを跨いで進んでしまった。
 
Img_2889
 
結構しっかりとしている道じゃないか?
 
とは思ったが、その手前にはぽっかりと大きな穴が開いている場所があって、その周囲には「きけん立入禁止」と書かれたロープが張られていた。
 
その穴の存在のためにこの旧道部分全体が立入禁止になっているのではないだろうか?と思えるくらいの、その先の道は普通の道だった。
 
そして、その先「道」の左手には「明治天皇御休所御跡」と書かれた石碑が建っていた。
 
Img_2890
 
明治天皇の東北御幸の際にはこの地も訪れたと言うことなんだろう。
 
そして、そのトンネルを迂回して国道4号線に戻ると、その数百メートル先で国道4号線とは右に分かれて県道259線として久栗坂地域に入った。
 
Img_2901
 
その先には「観音寺」が建っていた。
 
Img_2911
 
そして、そこには「錦木之塚」と刻まれた石碑が建っていた。
 
Img_2912
 
この塚についてはいろいろと謂れがあるようだ。
 
観音寺を先に進むと旧坂を登って左手から来る県道259号線に合流した。
 
その先進んだところで青い森鉄道のトンネルの上を越えるが、その先で旧道は右手に分かれていたようだ。
 
Img_2936
 
が、現在はその道は消失しているようで、県道259号線を進んでいくと右手下の方に建設関係の敷地が見ていていて、どうやら旧道はその辺りを通っていたようだ。
 
Img_2941
 
その先坂を降って行くと、青い森鉄道の高架下を潜った先で、左手には立派な松の木が残っていた。
 
Img_2953
 
そこは「野内番所跡」で、津軽三関と呼ばれる津軽藩の関所のひとつとして盛岡藩に対する番所が置かれていたと言う。
 
野内番所跡を過ぎると、その先野内小学校近くには昔ながらの松並木が残っていて、なかなかいい雰囲気だった。
 
Img_2962
 
その先はほぼ真っすぐな道で、途中国道から左手に分かれて入る旧道部分があったが、すぐに県道259号線に戻って進んだ。
 
その先八重田地区の先で、今度は県道259号線から更に右手に分かれて進んだ。
 
Img_2993
 
この辺りで浅虫温泉駅前から約10キロメートル進んでいた。
 
更に真っすぐに進んで行くと、その先で「合浦公園」に突き当たる。
 
Img_3000
 
公園内には野球場があるようで、この時ちょうど高校野球の夏の甲子園大会の青森県予選が行われていたようで、何回戦かはわからなかったが、かなり盛り上がっていた。
 
朝から歩いて来て、あまり多くの人の姿を見なかったので、暫くぶりに街中に来た、と言う感じだった。^_^;
 
・・・
 
以下、続く・・・。
 
*先にアップした際、「県道259号線」のところを「国道259線」と記載してアップしていましたが、ご指摘をいただき、早速訂正いたしました。
ご指摘、ありがとうございました。

2016年6月26日 (日)

ベネルクス三国の旅 26:ベルギー編-7 ブルージュ(3)メムリンク美術館

ブルージュでの市内散策の際に、メムリンク美術館を見学した。
 
Img_1522_2_2
 
メムリンク美術館は旧市街の中の聖母教会の近くにある美術館で、15世紀のフランドルの画家メムリンクの作品を多く展示していることでこの名前が付いているようだが、元々は12世紀に聖ヨハネ修道院が病院として使われていたものを改装して創られた美術館だと言う。
 
そのために、美術館とは言っても教会の中に絵画が展示されていると言う様子で美術館としてはその規模は小さいように感じた。
 
そしてそんな事情があってか、中に入ると病院だった当時の様子を伝えるものがいろいろと展示されていた。
 
これは看護婦さんと言うか修道女の姿を表したもの。
 
Img_1492
 
そしてこの作品は、当時の病院として機能していた修道院の中の様子を表したのも。
 
Img_1493
 
これは、当時使われていた薬草や治療器具だったものと言う。
 
Img_1495
 
これは正に、手術を施している様子を絵に描いたもののようだ。
 
Img_1497
 
日本で言えば、室町時代の頃だ。
 
・・・
 
さてそれでメムリンクの作品だが、何とも独特の、微妙な作風だと思った。
 
この何とも言えない表情。
 
Img_1516
 
が、この作品も恐らくキリスト教をちゃんと理解しまた当時の社会状況がわかっていればいろいろと読み解けることがあると思うが、残念ながらそれを持ち合わせてないので、表面的なことしかわからない。
 
しかし、この作品の左側に描かれている女性は、当時のフランドル地方で美人と言われた人の特徴、と言うか美人の条件が描かれていると言うことが興味を惹いた。
 
それは、、、
 
①おでこが広い、、、このように当時の女性は生え際の毛を抜いてまでおでこを広く見せたと言う。
 
②眉の形が細くて弧を描いている。
 
③目がアーモンドの形をしている。
 
④鼻は真っすぐで鼻筋が通っている。
 
⑤唇の形、上が細く下が厚い。
 
⑥顎が細い。
 
⑦肌の色が薄く透明感がある。
 
⑧なで肩。
 
⑨胸は小さい。
 
⑩腰が括れている。
 
そして女性が手にしている果物に特徴があって、それは禁断の実だが、アルプスより北ではリンゴを描き、南ではイチジクが描かれていると言われている。
 
なるほど、、、
 
そう言う視点で作品を見ると、より理解出来ると言うことなんだろう。
 
そして、日本でも時代によっては、美人が引目鉤鼻に描かれていたり、おかめが美人とされた時代があったり、ふくよかな女性がもてた時代があったりとか、結婚すれば鉄漿をするとか、いろいろその当時の時代背景によって美人の条件も違って来たようなことがあるから、古今東西いろいろあって面白い。^_^;
 
・・・
 
そして、これは三連画と呼ばれるフランドル地方で考えられた作品で、この中の左右の絵の中にはこの作品の発注者が描かれていると言う。
 
Img_1509
 
そして、展示されている作品の中には、修道女や修道士の上にそれぞれ他の人物が描かれているが、これも宗教的な意味合いがあって、上と言うか後ろに描かれているのは、前にいる修道女や修道士の守護聖人だと言うのだ。
 
Img_1520 Img_1521
 
なおかつ、その守護聖人を見れば、その前にいる修道女や修道士の名前までわかるようになっていると言うのだ。
 
まぁ、日本的に言えば、仏教寺院に祀られている仏像で、その仏像が身にまとっている衣や手にしているものを見れば、多くの日本人はそれが如来なのか菩薩なのかわかるだろうし、また如来なら手にしているもので阿弥陀なのか薬師なのか釈迦なのか大日なのか、菩薩なら観音とかいろいろあるが、仏像に詳しくなくても大体のことは見ればわかるようになっていると思う。
 
それと同じことなのかもしれない。
 
(最近の日本では、仏教について興味を持つ人が少なくなっていて、寺院で仏像を見てもそれが何なのかほとんどわからない人も多いかもしれないが、少なくとも仏教を自分の宗派をしていない外国人に比べれば多少はわかっていると思う。)
 
それを考えると、キリスト教の素養がない私のような人間が見ても即座には理解出来ないことでも、キリスト教徒の人がこれらの絵をみれば、後ろに描かれている人が守護聖人でありそればどの守護聖人なのかと言うことはわかった上でこれらの絵を見ているのだと思う。
 
言ってみれば、それだけある種のハンデを持って、これらの作品を見ていると思うが、そう思うとやはりキリスト教の宗教画は理解するのがなかなか難しい。
 
が、説明されてわかると、面白い!
 
・・・
 
さて、それでこの美術館で一番の目玉の作品は、メムリンク作の「聖ウルスラの宝物箱」と言われるものだ。
 
Img_1505
 
この作品は、聖ウルスラと言われる伝説上の聖女が行ったことを「箱」のそれぞれの面に描いたもので、その内容はキリスト教徒でない私にはほとんどよくわからないことだったが、それでもこの「箱」はベルギーの国宝になっていると言うことで、大変な代物だと言うことだった。
 
・・・
 
今まで、メムリンクと言う作家のことは知らなかったが、15世紀と言う時代のフランドル地方の作家のことを知って、今後その周辺の作品と出会った時には、またそれなりの思いで見ることが出来ると思った。
 
む~~~、
 
よかったぁ~~!ヽ(^o^)丿
 
・・・
 
以下、続く・・・。

2016年6月24日 (金)

イギリスがEUを脱退するって?

ヨーロッパの歴史を大雑把に見ると・・・
 
少なくとも、紀元前からローマ帝国がヨーロッパ大陸のほとんどを制覇し更には海を越えてイギリスまでその版図を広げて行って、その後徐々に衰退して行く中で、ヨーロッパ地域内ではあちこちで紛争が起こり、その紛争の規模の大小の違いはあったにしても、その争いは20世紀まで続いて、ついには第一次、第二次のふたつの世界大戦を引き起こした、と言うことは周知のことだと思う。
 
恐らく、ローマ帝国の崩壊後は、その地政学的にも中心にあったドイツやフランスが、歴史的にも中心的な役割を果たして来て今日に至って来ていると思うが、千年、二千年と続いて来た争いを何とか止めようと言う試みで始まったがEUなんだろう。
 
何しろ、近世になってからの世界的な大きな戦争は、大体ドイツやフランスが絡んでいることが多い。
 
こう言っては失礼かもしれないが、アフリカやアジアで、21世紀になったこの時代に国家間で戦争が始まっても恐らく世界大戦には発展しないだろう。
 
が、ヨーロッパの国においてはどうだろうか?
 
国の優劣と言うことではないが、国家間で戦争が起こったとすると、それがヨーロッパで起こったとなると、世界的な影響は図りえない。
 
いずれにしても、もう、二度と悲惨な世界大戦を繰り返してはならない・・・。
 
・・・
 
ところが今回のイギリスのEU脱退と言うイギリス国民の多数の意見。
 
まぁ、イギリスはEU加盟国の中でも、シェンゲン協定に加盟していないしユーロも導入していないと言う、ある種、EUと距離感を持っていた国だったので、他のEU加盟国とは少し違った印象があったが、それでもEU脱退の影響は計り知れないだろう。
 
・・・
 
さて、今回の報道で、現在のEU加盟国を表す地図がテレビで報じられていた。
 
それを見ていて思ったが、スペインやポルトガルは別にしても、現在のEU加盟国を示す地域の地図を見ていたら、何だかそれは、第二次世界大戦の時に、ナチスドイツが占領した地域とオーバーラップして見えていた。
 
000008083
 
それで思ったのが、EUって、もしかしたら、軍事力を伴わない形で行われた経済的な世界大戦の結果の表れなのではないだろうか?
と言うことだ。
 
と、もしかするとイギリスの国民は、そんなことを感じていたのかもしれないとも思った。
 
ま、素人なので詳しいことはわからないけどね。
 
いずれにしても、二度の世界大戦を起こしたヨーロッパで、これからは二度とそんなことは起こさないようにと結成されたグループなのだから、加盟国はある程度のことは我慢しないと収まらないのは自明のことなのに、それぞれの国が自国の利益のことを言い始めたら、その前提からおかしくなってしまうだろうに・・・。
 
と考えると、イギリスのEU脱退の国民の判断は何とも残念でしょうがない。

2016年6月23日 (木)

ベネルクス三国の旅 25:ベルギー編-6 ブルージュ(2)ブルージュ旧市街散策の2

ブルージュで泊まったホテルが旧市街の中心地であるマルクト広場のすぐ近くだったので、朝飯前に散策出来たし、午後のフリータイムの時もホテルを起点してあちこち動くことが出来て、結構便利に過ごすことが出来た。
 
しかも前日夕方にブリュージュに入っていて連泊になっていたので、たっぷりと時間を使うことが出来た。^_^;
 
・・・
 
と言うことで、ブルージュ旧市街の散策。
 
ブリュージュの町は卵型をしていて全体が運河に囲まれ、その内側の町にもたくさんの運河が流れている。
 
その周囲を巡る運河の様子は、日本の戦国時代の城郭の「堀」をイメージしてもらえるいいと思う。
 
更に町の周囲を巡る運河には何カ所か橋が架かっていて、そこには城門が残っているから、正にブルージュの旧市街自体が城塞都市と言うことが実感出来た。
 
そう言うことをイメージして町を散策すると、また町の見方も違って来て面白いが、多くのツアーでは、バスでやって来て、ささっと旧市街を散策して早々にバスに乗って次の町に移動することが多そうなので、恐らく町全体の雰囲気を感じないまま終わってしまうことが多いのではないかと思う。
 
・・・
 
そんな情報は別にして、午前中はガイドさんに従って旧市街を散策した。
 
と言うことで、まずは町の中心地である「マルクト広場」。
 
Img_2
 
この「マルクト広場」と言う言い方は、一般的にはドイツ語の言い方だが、オランダ語系のフラマン語でも同じように言うので、この地域がフラマン語が使われている地域だと言うことが伺える。
 
ガイドさんの説明によると、ここで言う「広場」は、領主からここに広場を作ってそこで市場を開いていいと言われた市民の権利だと言う。
 
今でもヨーロッパの町を旅していると、町の中心地にある広場に市場が開かれていて、そこにはチーズや野菜、果物、肉等たくさんの品物が扱われている光景を目にする。
 
これに対して個々の扱う品物毎の市場、、、「魚市場」とか「花市場」とか「肉市場」とか「野菜市場」とかはマルクト広場の周囲に開かれていたと言う。
 
へ~、そう言うことだったのか、、、と言う思いでその説明を聞いた。
 
で、このマルクト広場、「地球の歩き方」に「ヨーロッパでも5指に入る美しい広場」と書かれてあるのがよくわかる。
 
朝食前に散策した時はまだ雨上がりで空もどんよりしていて路面も濡れていた。
 
その時は時間も早かったので観光客も少なかったが、午後9時を過ぎた頃にはぼちぼち観光客の姿も見え始めていて、観光客を求める観光用の馬車も準備されていた。
 
Img_1413
 
 
そして、広場に面しては歴史を感じさせる建物がいくつか建っていて、それらがまずは目に入って来た。
 
その1:州庁舎
 

Img_1_2
 
その2:鐘楼
 
Img_9
 
この鐘楼は登ることが出来るために、午後のフリータイムの時に登った。^_^;
 
この後マルクト広場から一本路地を入ったところに向かうとそこには少し小さい広場があって、その広場に面していろいろと建物が建っていた。
 
その3:聖血礼拝堂
 
Img_7_2
 
その4:市庁舎 聖血礼拝堂の隣に建ち、1376年から1420年にかけて建てられたベルギーで最も古い市庁舎の一つと言われている。
 
Img_3
 
その5:公文書館 1537年に建てられたルネッサンス様式の建物。
 
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その6:旧裁判所 1984年まで裁判所として使われていたが、現在は市の行政センターになっていると言う。
 
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その7:魚市場 広場から少し離れたところにある市場。 毎朝ここで魚の市場が開かれていると言う。
 
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この魚市場を訪れた時は既に市場が終わっている時だったので、その様子は伺えなかった。
 
そこから南の方に歩いて、、、
 
その8:聖母教会 13~15世紀に建てられたと言う。街歩きをしていて、どこからでも結構目立つ建物だったので、道に迷った時には随分と助けられた。^_^;
 
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その9:メムリンク美術館 それなりの美術館だったので、改めてレポートいたします。
 
その10:ベギン会修道院 現在はベギン会修道女ではなく、15世紀そのままの修道服を身に着けたベネディクト派の修道女達が暮らしていると言う。
 
Img_8
 
キリスト教のことには疎いので、今一そのことがよくわからないまま外からその建物を見て過ぎた。
 
その11:愛の湖公園 中世ブルージュの内港だったところで、現在は運河と水門で仕切られて湖になっていると言う。
 
Img_14
 
ここにはたくさんの白鳥がいたが、それらは市によって管理されているようで、足には管理用の輪っかが付けられていた。
 
って言うか、何が「愛」なのか、今一わからなかった、、、。
 
・・・
 
以下、続く・・・。

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